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下町で診る
第1回 心の温かさを求めて



クスさん(仮名)は今年88歳になる。140cmたらずの身長で、来るたびに我々をからかっていく。

診察室のいすにちょこんと座ると「薬がなくなってねえ」と言う。「3日前にちゃんと2週間分出したよ。どこかにしまい忘れたんじゃないの」「あたしゃ調子が悪いと薬をすぐに飲む、飲んじゃうんだよ。飲んだかどうかも忘れてしまうから、またよけいに飲んじゃうのかもね。よくお嫁さんに叱られるんだわ」そういってクスさんはぺろりと舌を出す。

「おばあちゃん、いよいよほうけてしまったかな。まずいなあ」僕は最低限の血圧の薬だけを朝飲めばよいように調合し、釘をさした。

「絶対に飲みすぎちゃダメだよ。朝飲む分をまとめておいたからね」「はいはい。どうもすみませんでしたねえ」クスさんはぺこりと頭を下げると、いかにもといわんばかりに、コンコンと咳をしながら出て行った。

3日後、またクスさんはやってきた。今後は、「なんだか、体が寒くて寒くてねえ」と言う。熱を測っても熱はない。よくよく聞けば、家に暖房を入れていないだけらしい。僕は少しだけあきれるとこう言った。

「おばあちゃん暖房つけな、暖房を」「そうかねえ、でも体が冷たいんだよね」クスさんは、ほらこの通りと僕の手をぎゅっと握ってぺろりと舌を出した。

ベテラン看護師がこっそりと耳打ちしてきた。「私たちからかわれてるんですよ」「えっ…」彼女は、薬の1件でお嫁さんと連絡を取っていた。お嫁さんによれば、いつものことらしい。僕らは、まんまとかつがれていた。

「どうもありがとうございました」…コンコン…。深々と頭を下げてクリニックから出て行くクスさんがぺろりと舌を出すのを僕は見逃さなかった。ある日、近所の若い薬剤師君が血相を変えて飛び込んできた。クスさん、薬局で薬をもらうとしげしげとそれを見つめて、こう聞いたそうだ。「これ全部飲むと死ねるかねえ」

まじめな薬剤師君、全部飲んでも死にません、大丈夫ですよ、と優しく言ったそうだ。するとクスさん、悲しそうな顔をして、薬局から出て行き際、「ふーっ」と大きなため息をついたそうだ。まんまと純朴な薬剤師君は引っかかってしまった。おばあちゃんは下町を飄々と生き抜いている。

※引用 アイユ1月号 2009年(平成21年)1月15日発行 (C) 財団法人 人権教育啓発推進センター




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