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下町で診る
第2回 幸せの笑い声



源さん(仮名)は80歳になる。「どうも!」っとクシャクシャの笑顔で、よたよたっと診察室に入ってくる。2歳年上の奥さんが、幼な子を見守るように続く。源さんはアルツハイマー認知症を患っている。

1年前、奥さんが源さんを引きずるようにしてやってきた。入るなり堰を切ったようにしゃべった。「あたしゃ、この人のおかげでもうくたくたなんだよ。昨日もどっかにでかけちまってさ!1人でバスに乗って、日暮里の駅の交番にいたんだわ。毎日毎日、これじゃあ。疲れちまって、なんのために生きてんのかわからないよ」「源さん、仕事は何をしてたの?」「うちの人は、昔から一本気な職人だったのよ。頑固で、いつも苦虫をつぶしたような顔でさ、『飯!風呂!ビール』しか言わない人さ。それが、こんなになっちまって」

傍らでは源さん。自分の話とも分からず、にこにこと笑っている。「大変な苦労したんだね」「ふん、あたしゃ苦労なんてしてないよ。ただ、一生懸命働いてさ、ようやく娘を嫁がせて、孫ができたと思ったらこうなんだもの。老後ぐらいはと思ってたら、また亭主の世話を焼かなきゃなんないなんてねえ…」

僕は奥さんも一緒にリハビリに来ることを勧めた。うちにはたいした機械もない。でも、世間話だけはふんだんにできる場所がある。下町の患者さんたちは、時におせっかいに、時に親身におしゃべりをしてくれる。源さんはその横で会話をにこにこと聞いている。疲れきっていた奥さんの表情や身なりが、徐々に小奇麗になっていった。ごま塩の乱れ髪は、いつのまにか真っ白に染められていた。別人のようだった。自分の居場所を見つけたのだ。

その奥さんがぽつりと言う。「うちの人、最近あたしの行くところには、どこにでも付いてくんのよ。まったく、昔は一緒に出かけるどころか、ろくに話もしなかったのにねえ」「頑固な職人さんだったからねえ」。僕は相槌を打つ。「それが今じゃ、こんなにいつもにこにこして。小さな子どものように付きまとってきてねえ」「……」「まったく苦労なのか、幸せなのか、あたしゃわかんなくなっちまったよ」

――さまざまな想いの涙を隠すように(?)奥さんは大声で笑った。つられて、源さんも大きな口を開いた。リハビリ室の窓の外、青空がやけに深かった。

※引用 アイユ2月号 2009年(平成21年)2月15日発行 (C) 財団法人 人権教育啓発推進センター




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