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下町で診る
第8回 寅さんの消えた夏



「先生よう。隣の鈴木のばあちゃん(仮名)が倒れてるんだ。なんとかしてくれ」

高橋さん(仮名)が僕が当直していた下町の病院に飛び込んできたのは、5年前の夕方。あいにくと女性のベッドは満床で救急の受け入れはストップしていた。鈴木さんを自分の車で運んできた高橋さんは、面倒見の良い下町育ちの板前さんだ。

患者さんがいて、僕が医者で、そして病院にたどり着いたなら、治さなくてはならない。他の理由は屁理屈にしかならない。断ろうとする当直の事務員をさえぎって僕は言った。「ベッドは……、男性部屋にひとまずはいってもらおう」

独り暮らしの鈴木さんのことを高橋さんはいつも気にしていた。その日は、朝から鈴木さんの姿を見かけなかった。いえに勝手に入り、トイレの前で倒れていた鈴木さんを見つけた。

幸い鈴木さんは麻痺は残ったものの命は助かった。リハビリの後、身寄りのいる東北へと帰っていった。退院までの3か月、高橋さんは毎日見舞いに来た…。

この街では、お節介が親切になる。中田さん(仮名)の家に初めて往診に行ったとき、路地の入り口で僕と看護師のみっちゃんを待ち構えていたのも、向かいのクリーニング屋のご夫婦だった。

「いやあ、俺たちの言うことなんかちっとも聞かないんでね。先生しとつ(ひとつ)よろしく頼みますわ。もうこっちも何かあったんじゃあ困るから、心配で心配でねえ」人の良さそうなご主人は、一気にまくし立てた。「ひ」と「し」の区別のつかない江戸弁だった。中田さん78歳、脳梗塞の後遺症で言葉が不自由だった。奥さんは2歳年上で軽い認知症。お子さんはいない。

この街、葛飾柴又から、『寅さん』が旅立って14度目の夏がやってきた。「そうかいそうかい。今度困ったことがあったら、東京は葛飾柴又の帝釈天の参道に『とらや』っていうこぎたねえ団子屋がある。貧相なじじいとばばあしかいないけど、寅から言われて訪ねてきたと言ってみな。心は優しいじじいとばばあだから、面倒見てくれるからよ。そうそう、俺の妹のさくらってのもいるからよ。兄(あん)ちゃんは元気だと伝えてやってくんなさい」

焼けつく太陽に照らされた下町の路地に、寅さんの後姿がみえた。中田家へは今も2週間に1回往診に行っている。

※引用 アイユ8月号 2009年(平成21年)8月15日発行 (C) 財団法人 人権教育啓発推進センター




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